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hamayan が感じること

hamayan 施術者・hamano のつぶやきペー ジ
ここはいわゆるスピリチュアル系といわれる話題が中心です







スピリチュアルっぽい..? 体験

思えば、いわゆるスピリチュアル系
のことを受けたり学 んだり
させていただいたりする前から「..これって、ええと?」な経験は色々ありました

物心ついた時から、耳元では音楽がなっていました
現実の演奏ではきいたことがない、うつくしくうっとりな調べ..私は天上の音楽とよんでいました
この音楽がなかったら子供の頃の私はやっていけなかっただろうと今でも思うほど、救われる音色でした

誰にでもきこえるのかと思っていたのですが、そうではないらしいとわかり
このことについては話さないようになり、特に目覚めの時によくきこえていたのですが
大人になるにつれ聞こえなくなっていきました

空をみるとごるごるうねるモノが見える..目の中のゴミとは別のモノです
とくに晴天の山頂とか、気持ちがいいところでさかんに見えるし、動きもよく見えます
私にとっては、人間や樹木などののまわりのものよりはるかに見やすかったです

空中に漂っているエネルギーなんでしょうか。これは今でもみえます
チャネリングなどでえられるビジョン等よりはっきりと、物体と同じように肉眼で普通に見えます


子供の頃は、乖離していたせいか
上から自分を見下ろしている状態にもよくなっていました
眠っている自分とかも見えるので、なんだかヘンだなぁとは思ってました(笑

たしか小学1年か2年か頃、ある朝目覚めて鏡を見て
「これは自分の顔じゃない!」と、愕然とし気持ち悪くなった覚えがあります
見た目は同じようなのですが、強い違和感がある、何かが違う..これは他人だと感じました

後々、複数の方に、私があまりにも自分の肉体にいなかったので
空き家に勝手に人が棲むように、霊だか残留思念が入り込んで使われてしまったのだと言われました

次第に、夢でその人のことを見始めました
髪が長く華奢な大人の女性で、顔にひどいヤケドの痕がありました
(この特徴、前述の霊だか残留思念だと言ったかたがたがの指摘と一致してました)

こうなってくると日常はパニックです。寝ても醒めてもおかしいわけで、こんなふうに育てば
身体感覚も心も人格もチトおかしくなるのは当たり前かもしれません
...なーんて、言い訳ですけれど(笑

この女性、20代前半くらいまで一緒にいた気がします
お祓いも浄化もしませんでしたが、私が私自身であろうとしてゆくにつれ
居心地が悪くなったのか、その女性と同じ年齢に私自身が成長したからか、自然といなくなりました


今となってはですが..経緯等からみて、複数の霊能者のかたに言われたような残留思念や霊ではなく
乖離しておかしくなっていた私の心身が作り出した、ネガティブな思念が
生き物のようになっただけだったのだろうと、私は考えています

私はカーシステムや他のヒーリングで浄霊等もやっていますが
霊という個別の存在はいなくて、そのかたのエネルギーが帯びている情報の一部だと感じています

ただ、本人が霊能者さ んとかにいわれて固く信じていたり、思い込んでいる場合等
霊などがいることにして、何かの状況や症状はそれのせいにしてあつかったほうが問題を捉えやすく
解決に効果があると感じるケースは、方便としてそうしたワークをさせていただく場合もある..という感じです

霊やなんやかんや、いると信じている人には本当に見えるし感じるし
その影響で死んだり重病になったり、素晴らしいことがおきたりもする..これも身をもって知っています
浄霊すると、あきらかに状況や症状が変わる場合は多いです

ですので、闇雲に否定したり拒否せず、そうした概念が役立つ時には
それに乗じてうまく使うというのもアリだと思うのです

本物の霊能者や気功師や治療家、リーダーやチャネラー等は
相手のエネルギーや潜在意識などに書かれている情報を読みとり
表現したり対処したりしているのだと思います

この情報は時間概念がないようなので、過去・未来のことを複数のかたにきいても
ある程度の共通性があるカタチがでてくるのでしょう


ら?話が大きくそれま した 〜。ので、子供時代にほかにもあったし
大人になってからのこともありますが、続きはまた後日いずれかにさせていただきます(^-^





物語の中で、演じる

私には、物心ついた時にはすでに漠然ともっていた物語がありました
もといた世界で過ちを犯し、流刑のために地球人に転生させられた。というものです
ええと、はい、おかしいですよね(笑)でも、心底からそう思っていたんです

このほかに、十代半ば〜二十代の経験から創出した「死」に深くまつわる
のろわれた神話のような物語もあるのですが(笑)とりあえず、ここではさておきます

記憶か妄想かもさておき、私が覚えていたモトの世界は
自分と他者との境界がもっと薄く全体意識が強い平和なところでした

自分が感じること・考えることは即座に他者にも伝わり、総意のもとですみやかに現実化される
もちろん、他者のそれらも同じく..そんなふうにすごしていました


比べて、今いるこの世界は、人間は、なんて野蛮なんだろうと嫌悪していました
他の生き物の生命を搾取しなくては生きられない(モトの世界はそうではなかった)
人間同士でさえ搾取しあっている、欲に際限がない..地球をこんなにしたのは、罪深い人間だと思いました

人間の思念が生み出す情報が、他の人間や地球に伝染し充満し世界を汚し続けていると考えていました
(ので、利己的遺伝子で著名なドーキンスの「ミーム」について読んだ時、すでに知ってるコトのように感じました)
こんな生き物でいるのが嫌で、自分にも他者にも怒りを感じ憎悪していました

いやだから、やめちゃおう。でも、痛いのも嫌(モトの世界では痛みはなかった)ということで
たしか4〜9歳くらいまで自ら窒息死や餓死などを試みる子供でした(
それ以外の原因では死 にかけましたが)
や、子供 なのもありたいして我慢できず、泣きながら咳き込んだりおにぎり食べたりしちゃってました(笑


こういうのを、いわゆるスピリチュアル系のかたに話すと
「あなたは変わった世界からきたし、今もつながっているから..
あなたに繋がる人は自動的にそこともつながるから、何もしなくてもヒーリングがおきるのね

大変だろうけど、それは罪ではなく自分で選んできたものだし使命もイイコトもある」となり
物語は肯定され、「自分はちょっと特別」意識をあおられもするのかもですし
(実際に某リーディングでこんな感じのことを言われました)

心理学的にいうなら、万能感や全能感、子宮回帰願望などが入り混じり
不安定で不運な子供時代のトラウマといりまじり、そうなったのではとかなんとかいわれ
そのトラウマからさぐっていって解放しましょう..という展開になるのかもですが

まぁ、今となってはなんでもどうでもいいやって感じです(笑
そのどっちの解釈、そのほかの解釈に納得しその気になったとしても、たとえそれが正しかったとしても
そんな物語を持っていることは今の自分にとって価値がないので、手放すことを選択したためです



ここまで極端ではなくても、自分の内に物語や個人の神話をもつかたは多いようです
ビジョン心理学のチャック・スペザーノ博士のよると、個人の神話とは
いくつものトラウマの補償行為として作り出される物語だそうです

トラウマなどからでなくても、社会的な価値観や
周りの評価などから生じた、理想の人格、言動、正義感、できごとの展開などを思い抱き
その神話の設定や物語等にしばられ、ぬけだしにくくなることもあるようです

それらはとてもポジティブな言動である場合も多いのですが、どういうものであれ補償行為なので
その中でポジティブに生きたとしても、しょせんは役割を演じているだけであり

いかにエネルギーや努力を注ぎ、成果を得たとしても
喜びや感謝や評価などの成果を、自分自身のものとして十分な実感をもってうけとることはできません
物語の中の人物として演じる人生は、自然な自分ではない生を歩むということです

どのような舞台もいつかは終わり、どんな役者も安らげるところへ還ります
この世界の人間は、速度や段階はそれぞれだし遠回りや道草を選ぶ人もいますが、誰もがその方向へ進んでいます
早く辿り着くことや遅いことに評価も意味もつきませんが、その方向を自覚し流れにのると
すすむ速度は加速し、よりすみやかに自然な自分に近づけるようです


過去にあなたが、どん な理由からどんな物語をもったとしても
今のあなたが手放すことを選択し続けるなら、手放すことが可能だと私が信じられるのは
理屈から考えるとそこにゆきつくからでもありますが、自分の体験からもきている処も大きいかもしれません




いわれなくヒトに攻撃される、利用され る..

私は何も悪いことをしていない、むしろいいことを しようとしている
ルールもちゃんと守っているのに、いわれなく攻撃してくる人がいる..嫌われる、疎まれる、評価されない
やたらと利用されてしまう、そんなお悩みをおうかがいすることも多いです

この世の価値観でわかる因果(カルマ、縁起)ばかりではないですから
そうしたレベルでの因の清算や学びのために避けようなくおきている場合もあるとは思いますが、ごく稀に感じます
(本人が強くそう思い込んでいるケースは多いですが)
いずれにしても、すべての事象は「今・この時」に集約されているわけで
今に取り組むしかないという意味では、同じですけれども..


いわれない攻撃。これは単純にエネルギーが少ない状態だと、受けやすいようです
強い相手にむかっていく人もいますが、それはまた 別の理由があるようです

エネルギーの多少をいわれてもわからない..と思 われるかも しれませんが
自分自身でもなんとなく感じませんか?今日は充実してるなとか、このところどうも..とか
心身すべてひっくるめた、元気具合といってもいいかもしれません

人間は社会的動物なので、他者からみるエネルギーの量は
状態や能力のほかに、社会的地位や立場などの評価も含めて判断される場合が多いと思います

動物などをみていると、捕食者は弱い固体から攻撃しますよね
倒す必要があると感じる場合、なるべく労力すくなく効率的にそれを行おうとするのかもしれませんし
それは世界全体という枠からみた中で、理にかなっていることであるからかもしれません

人間の場合は、のような理由で損をさせられるような感覚とか、それで怒りを感じるというのもあるのかもしれま せん
はけ口の対象が主にこうした単純な理由で選ばれているように感じるケース、けっこう見かけます


別の原因として、エネルギーは十分だと思うんだけ ど..という場合
他者の存在や考え方や価値観などと、「つながりをもつ」ことを拒否しているのかもしれません
それらとはつながれないことや異質であることに価値のようなものを与え、固執しているのかもしれません
他者でなく、自分自身の心身とそのような感じになっているのかもしれません

家庭内での関係性に歪みがあった場合、無意識にそれをまねて再現しようとしたり
逆にそれを避けたいという意識を強くもつあまり、結果的にその再現にエネルギーを使っていたり
過剰防衛になって周りに拒絶感や圧迫感を与えている場合などなど(こういうのも個別にあげだすとキリないですが)

利用されてしまうという場合は、誰かや何かとのつながりを失う恐怖から逃れるため
なんとかつなぎとめる手段として、利用されることを顕在又は潜在レベルの自らが選んでいる場合が多いようです
もしくは自分の存在意味が実感できず、他に評価してもらうことを求めているためにそうした行動をしていたり..

これは幼い頃や強烈な経験時にもったそういう経験則を
必要なくなった後も大事に抱え込んでいることからきやすいようです
自分からすすんで利用されておきながら、転化して、相手に怒りをおぼえるというケースもよくみかけます


人間は、孤立感をもっている時やそうなるかもという不安を強く感じている時
自分が生きている意味を見失いやすいように思います

それは根源的なことなので、それよりも些細なことなどみな無意味に感じられやすいでしょう
実際、人間はひとりで生きていくことの難度が高い 生物だと思いますし、単体生殖もできないですから
これは本能的な感覚なのもしれません


生きていても..とか、この会社にいても..とか、これをやり続けていても..とか
朝おきたって..などなど、何をしても意味がないような感覚を覚え、気力はわかなくなり
どうでもいいとなげやりになったり鬱になりやすいのは、そうした時ではないでしょうか

何かがうまくいかなくてそうしたキモチになる時は
世界中から否定されたような拒絶感や孤立感を、頭の中で味わうためではないでしょうか
(神という絶対者がいて、神から見捨てられる.. などという観念が横行している弊害かもしれませんが)

体の細胞や臓器や機能などもそんな感じではないかと、私は感じます
自分の心身においても他者との関係においても、孤立にとらわれることは疎まれやすく
孤立を味わうということはエネルギーを停滞させやすく、人を蝕みやすくするように感じます
これは不安のベクトルに属するためだと思います


いずれの場合にも、対処法は
共通しているように思 います
自分の心身やつながりやすい他者・世界との絆を強める。ペットや自然などととはぐくむのも素敵だと思います
個体としてでも集団の中ででもどちらでもいいと思うのですが、心底から自分が意味を認めら れる能力を身につける

ごく小さい個人的なことでもいいので、成功した(世界に受け入れられた)経験をし
その感覚を日常的に味わう、アフォアメーションを頻繁におこなう等..

ほかにも色々と考えられますが、まずは
エネルギーの使い方を 選び
心身ともに自分が元気である(になる)よう選択し、その方向の流れにのることが大切ではないでしょうか
それなくしては、つながりたいキモチも何かをする気力もわきにくいように感じます

エネルギーが帯びている性質・情報(波動)は伝染します

近い波動同士は、引き寄せあい増強しあうという法則もありま す

元気だったり幸せな生き物のそばにいると、自分も そんな感じを味わ えるので
(「欲望を満たした」満足感=幸せや、「得をした」満足=幸せという意味ではないです)
そうした人は周りに人が集まりやすく、いい感じで 受け入れ&認められやすいのだと思います


私も元気で幸せであれるよう、選択し続けようときめています
いわゆるスピリチュアル系で「ライトワーク」と か、使命のようにいいますが
それって大層なことだけでなく、こういうことでもあるんじゃないかなと感じています

私の場合、モトが歪だし、幼少時から抱え込んでい る個人的神話からして孤立傾向が強くあるので
自分的には難しい時もありますが..や、かんたんな時のほうが少ないかもですが、できるかぎり
自他両方のためにそうすると決めています。あ、できなくても、自分を責めずに(笑






からだからの 変化

私は幼少の頃におかしな状態に陥り、そのままで心身が安定してしまっていたヒトのようです
肉体的感覚が薄く身体意識がないという、いわば半分幽霊みたいな状態?(笑
感覚がない・またはひどく薄いので、うまく使うこともできませんでした
そのぶん、様々なことに過敏なヒトにもなってしまいました

そのために人さまのからだに触れさせていただく生業を望んだのかもしれません
自分の肉体からは感じられない身体的実感を、他者の肉体を通じて
少しでも感じたいと思ったのかもしれません

「人間になりたい..」という、妖怪人間ベムとかのキモチがわかるような..
(実は、↓の今もかかっている整体を初めてうけた時に、このベムのビジョンがでてきたのでした(笑)

そして、からだからの施術を色々うけ&学んでもその辺りには大きな変化は感じられなかったため
もしかしたら、私の場合はからだよりも心や意識の問題かも..と思ったので
エネルギーワークやヒーリングにも取り組み始めたのかもしれません


そんな私の心身は、こ のところ激変中です。心もですが、肉体の変化がはやく大きいです
思えば特にここ5年ほど、主に見えない系の様々なワークを受け、変化を感じ
そのたびに驚いてきましたが、ここまでの体験はありませんでした

これは今かかっている整体によって引き出されている、根本的変化だと思います

これまで受けた様々なからだからのアプローチでは、色々な対症療法的効果はありましたが
私の歪な安定はゆらぎませんでしたし、身体感覚への効果はごく一時的&わずかなものしか感じませんでした
根本的なところを見据 えている整体..心身におきることがこれほど違うとは。驚くばかりです

(あ、対症療法がいけ ない といいたいのでも、低くみているのでもありません)
(それが早急に必要な場合も多々あると思いますし、私が今してる施術もそういう色あいが強いものですから)


その整体のおかげで、今まで感じられなかった諸々が肉体的感覚として
感知・実感できるようになりつつある最中、視覚や重心や呼吸ほか肉体的変化にもあたふたしますが
感じられなかったために自分が自分にしてきたことが心身にあたえた意味にも、とまどってもいます

これまでの自分が、いかに自分にヒドイことをしてきたかが実感でき始めてます
気づくたび「うわ〜」と喚いてしまいます。虐待といえるほどかもなので..こんなんだと、誰かに何かをされていなくても
私の無意識の中に自然と被害者意識が育ったんじゃ..や、加害者も自分だけど(笑)..と、愕然としたりもし

特に何もしていなくても、重力や肉体にあるのをストレスに感じてるような状態では..
そんな状態を生じさせ継続させ、ひどくさせるような心身の使いかたを多くしてきた生活では..
そりゃ、生きているだけで苦痛を感じる時もあるなぁ。と納得したりもするというわけです


なんとなくおかしいと は思っていても、感覚器官をふさぎ、心をふさぎ、感じないようにし
現状を維持したくなるキモチも、以前よりはわかるようになった気がします

しんどくても、ありのままを感じてそれに応じていこうとしないと
その状態の維持が可能な範囲内、という程度の変化や緩和はおきるにしても
その範囲を超えた変化はおきない場合が多いと、経験則からも理論的にも考えている私でも

心身によろしくないこ とって、感じなければ、無意識に気づかないままやってしまえるけど
気づいたら止めざるをえない。やめずに続けるとどんどんつらくなる..
それでも
それらをやめること、そう変わることがこんなにもしんどいなら
もう変わらなくていいや..という気分になる時もあるんだな、と感じる時がでてきたので(笑

そういう心境、私にとって想像はできても理解はしにくいものだったのですが
(これまで感じてなかったので自覚がなかったのと、どうせ何かを片付けるなら今すぐやろうという傾向があるので)
身をもって体感しているので、ちょっとはわかるようになったかもです

それで、↓の「恒常性」ような、ぼやきというのか
自分への言い訳のようなものををつぶやきたくなったのかもしれません(苦笑


それでも、やっぱり。対症療法的な治療やヒーリングや
リーディングやカウンセリングなどでは、どうにも立ち行かなくなったと感じているかたには
根本的変化につながる方法を選ぶことをおすすめしたくなります

根本的な変化とは、自然な自分自身の心身に還ることだと感じるためですし
10年後、30年後と時間のベクトルをのばしてみていくと、そのほうが幸せな場合が多いように思うからです

社会的要因、他者からの要因、心身の要因などによりできあがった
不自然な思考や観念・身体状態..なんにしろ自分にとって不自然なものの中にいたままでは
芯からの心地よさやすっきり感や充実などは味わえないだろうと、やっぱり思うのです

カルマの解除は心や意識からの根本的変化を促しますが、いわゆる目に見えないものです
これに抵抗があるかたの場合、からだからの変化または効果的な心理療法をおすすめしています





恒常性

変わりたい、でも、どうしても、変われない... これって普通の事だと思います
肉体にも心にも「恒常性(ホメオスターシス)」がありますから
恒常性は悪いことでは全くない、自然なことです

ただ、これは異常な状態や本来の自分ではない場合でも
それでもなんとか心身を最上の状態でもちこたえようとし、それを維持させようとするので
いったんへんてこりんな状態に陥り、なんとかやりすごしそれになじむと
へんてこりんから抜け出し難くするので、やっかいです

悪気はない、だれもどこも悪くない、そもそもの目的はいわば正しい
前向きなものなのですが、心身が居心地よくない状態でもハマると変わりにくくなる
それは、おそらく人間誰しもがそうなのだと思います


でも、そこに安住しているといつまでたっても同じなので
抜け出す機会がきたら、自覚をもって手放したいと切に願っているのですが...
そう思ってはいても、いざとなるとばたばたしちゃう自分がいるのを実感しているこの頃です

臨床心理士のかたのブログかなにかで
もう一歩でほぼOKな感じになる..という段階までこられたかたが
突然、体調不良などを理由にこなくなることが多いとかかれていましたが、その心境もわかるような

う〜ん、今日のこの文は何度も打ち直したのですが
なかなかしっくりこず..どうも、自分自身へのぼやきをつぶやきたかったらしいです(笑






いわゆる、憑き物

たまに 「私は憑かれやすい」「受けやすい」
そんなお悩みを相談されることがあります。かくいう私も、複数のいわゆる見える人から
「あなたはとても受けやすいから気をつけなさい」と言われたことがあります

いわゆる憑き物、憑かれるということ..今の私はこれについて
ある気功師のご意見とダスカロスの意見に共感し、おおむねこういうものだろうと思っています


エネルギーの高い人と低い人・多い人と少ない人(場やモノも同様)がエネルギー的につながると
高いところから低いと ころへ水が流れるように、均一に近づく方向へ自然にエネルギーの移動がおきるようです
エネルギーが失われたほうは「あれ?なんだかへんだ..」と感じま す

こうした増減は普通にしょっちゅうおきていて、減っても徐々にも どってゆくのが普通なのですが
この減ったことや、その時の相手・状況等に対して、嫌な感情や拒絶 感、損得勘定
「何かに憑かれたかも」といったネガティブな思考・観念をまぜこむ と

自然にエネルギーが補充されてゆく時に(世界はエネルギーに満ちているので自然と補充されるのです)
その観念の特質を帯びてしまい、ネガティブなエネルギーとして補充されてしまうというわけです
これが、いわゆる「憑かれた」といわれることの正味である場合が多いようです

強いネガティブな残留思念の溜まり場や、そうした状態のかたとつながり
思考・観念ごとエネルギーを受け取ってしまい、憑かれたといえるような状態になることもありますが
アーユルヴェーダではこれを避けるため、行ってはいけない場所や行為・つきあ いを避けるべき相手などを といています)
多くの場合、自然現象と自分自身の思考・観念のなせるあわせ技からおきているようです

エネルギーが減っても、ちょっとおなかが減った程度に受け止め(笑
ふたたび満ちるのをまつか、満ちてゆく意図をもつだけでいいように感じます

自分が心地よく感じる場所や人、ものなどと接触をもち
エネルギーが補充されるのを感じるようにしてもいいかもしれません



20世紀最大のヒーラーとよばれた、故・ダ スカロス
ネガティブな「エレメンタル」というものが、病や不幸の主因になっていると考えたようです

エレメンタルとは、想念のエネルギーだといいます
(潜在意識に強く入力 され、大きな影響力を持った想念ともいえるのではと私は思います)

強い想念や繰り返された想念は、やがて独自の意思を持ち始め
まるで生き物のように自分の内に巣くうようになります。これを憑き物と感じる方も多いです

エレメンタルは創った人についてまわるので
他者にむけた想念から発生したものでも、いずれ自分にかえってくるといわれています
自分に向けても他者に向けても、ネガティブな想念をもつということは
自分自身がネガティブな種を持つことに他ならないと思います

エレメンタルは両目の間のチャクラから発生すると、ダスカロスはいいました
影響を受けるなら、意識的にポジティブな想念・エレメンタルを生み出しそれと共にあるほうが楽しい気がします
無意識に書かれたネガティブな想念などは、自分自身でとりくむこともできると思います






陰きわまれば 陽になる


心身も世界も、そんな ものだといわれます
それ以上そちらの方向にすすむことができない極地点にいきつけば
どんな性質のものも反転の流れがおきるとでもいうのでしょうか


私はバイロン・ケイティの ワークが好きで
日常的に、自分のことについてやっているのですが

彼女は、とてもしんどい鬱などの状態が長くつづき
ある朝目覚めたら、突然、世界が一変する視点で現実をみられるようになっていたのだとか..
彼女は極地点に到達し、自然な反転がおきたのではないかと思います


そうした反転がおきる 時、これまでの方向に自分 をしばっていた諸々
観念や肉体的問題の支点
などなどから、解放される ような感覚をともなうものだと感じますが

その時に、反転前の方向で味わった過去の経験や
そこから得た経験則、スキル、立場や評価などについて
意味なかったのか?なんだったんだ?

あんなにもしんどい目に合い、時間もエネルギーもかけ
あんな想いもしてここまできたのに..だから、手放してはならな い、もっていなくてはならない。とか

自分がこんな想いをしてきたのだから、アノヒトにも同じ想いを味あ わせないととか
手放したらアノヒトが得をするはずで自分は損をするとか、他の誰か にもこれをわかって評価してもらわなくてはとか
ここでラクになってしまったらアノヒトは自分を助けてくれなくなる、見捨てられる、言い訳できなくなるなどの二次利得とか

それを乗り越えたことこそが自分なんだ、自分でいる意義のひとつが ここにあるんだとか
変わること自体や変化の先への不安などなどから(あげだすとキリな いですね(笑)
執着したりとらわれすぎ、そうしたところに焦点があっていると

ある意味、反転の流れに逆らうことになるので
しんどいことがおきやすくなったり、キモチになりやすいとも感じま す

KS全カルマ解除等を受けてやたらキツイことがおきた..という場合も
大きなエネルギーを受けたことによる好転反応ではなく、この場合がほとんどのように感じます
(カルマ解除の場合
「自分の人生は、今、 おきている。そのおきるできごとも 自分の心身、思考も、自分が主体であり
 選択権は自分がもっている」ことなどの自覚が少なくても、しんどい反応がおきやすいと感じますが)



..って、わかってはいても過去の諸々にしがみつく..私には、多 々あります(笑
心身をみていただいている整体の先生のおかげや、ほかの理由もてん こもりもろもろあり
このところからだの変化の流れがとても速く、それと比例してそんな 気持になる時が増えてます

まぁでも、わかってはいてもハマりたいなら、それも経験としてあり か なと受けいれ
いっそ骨まで、毒を食らわば皿までっていうノリで、はむはむ味わっ てます
自分の気が済む(澄む)まで、気長にいこうかと(笑


あせっても仕方ない、アルものをナイって思い込んだり抑圧しても仕 方ない
何かのレッテルを貼って片付けたつもりになったり、
別の何かにすり かえたり
誰かのせいにしたり主体権をヒトに預けたりしても、一時的なものにしかならな い

たまに自分を放り出したくもなるけど、それも仕方がない
たとえ自死したとしても、自分を放り出せないことは知っています
そういう方向性、方法では自由にはなれないことも身にしみてわかっ ている..

ケイティは「現実と争うとき、あなたは負ける。それも必ず」と言い ます
それは本当だと思う。争ったり、逆らったりするものじゃないんだと 感じます







自分を縛るもの

本来の自 分らしくいら れない..これは本当の私じゃない、違和感を感じる
思うように能力が発揮できない、こんなはずじゃない
そういったご相談、よくうけます

私はそうしたくないのに○○さんにそうさせられている。邪魔される
私は運がない、ついてない、私のせいじゃないのに..などと言う方でも

どうしてそうなっているのかをたぐっていくと
親や力を持った人、親しい人などによる評価や展開の影響や
それと関連する経験等からうまれた、自分の観念・思考パターンにゆきつくように感じます


過去(過去世をふくめ)、自分がまだ幼く
ほかの存在に依存するしかなかった頃にうけた影響を

そうではない自分になっても、持ち続けているのは自分自身です
もう不要な観念を抱き続け、自分を自身の本質から遠ざけているのは自分だと思います

いかに意識的に、そこに気づき手放す選択をするか・しないか
大切なのは手法や技術や力などよりも、その部分である気がします


百歩譲って、誰かが、 あなたを縛るような呪いや虐 待や
自分のために利用しようという意図を強くもち、そうするようにしていたとしても

自分自身がその意図に頓着せず、ありのままの自分としてあるなら
それらのエネルギーをを受けても、たいした影響を受けずさらさら流れてゆきます


「人を呪わば穴ふたつ」 というのは本当で
いずれは悪意をもった側がその反応を引き受けることになっています

潜在意識には自他の区別がなく、もった悪意は、もち手の潜在意識にとっては
自分へのものとして受け取られ、影響はその人が受けるわけですし..世界にはカルマの法則もあるわけですし
そういうことをした相手を裁いたり拒否したり、否定する評価をつける必要はないのです


どういう形であれ、そうしたことや、そうしたことをしている時のその人に意識を向けることは
その意図につきあうことであり、そこにエネルギーを贈ることになります

そうしたものに惑わされず、引きずられず
自分のエネルギーは自分の選択のために用いて
どんどん自分らしい自分に還っていっていいのだと思います

そうした方向への変化は、自分自身の選択とそれをおこなっていく許可を
自分にあたえることからはじめるのが早道なのかもしれません

意識を向ける、エネルギーを贈るなら、幸せな交流をもてる相手にしませんか?
贈り、贈られ、感謝しあうと、エネルギーはそもそもの何倍にも育ちますから、お互いがより幸せになれます
意識もエネルギーも、もちろんそのほかのものも、使いようなのだと思います




わかる、ということ

先月からいきはじめた習い事の先生が
HPの日記でかかれていたこと..

「出来ないということは詰まり、分からないということに他ならない」

これって、本当にそうだなぁと思うこの頃です
アタマだけでわかったつもりになり、わかったと思い込む

いざ、それを活用できる場面に遭遇すると..あら?できないじゃん(笑
わかったつもりの理屈、手順をあてはめてもしっくりこない、思うようにできない..
あ、本当にはわかっていなかったんだなぁ。と実感します

これまでの自分の「常識」の範囲内での理解だけだと
自分の心身、できること、まわりの反応、おきるできごと等、現実はかわらない気がします
ほんとうにわかれば、どのようなことでも即できるし、変わるのだと思います


未知のこと(忘れていること??)を学び、わかる、手にする、できるようになるというのは
思考はもとより潜在意識を含む心身の「常識」を刷新することのような..

そのように「わかる」ことができるようになるために
思うようにならない、できない現実を経験することになるのかもしれません
自分自身をみていても、カルマ解除のサポートなどをさせていただいていても感じることです


できればそういう目にあいたくないなぁ
せっかくわかった、のりこえたと思って、いい感じでいるのに..
そういう感じだけにひたっていたいのに..せめて、この手に入れている部分だけはそのままで..

そのキモチ、自分が願うのも(笑)よくわかります
できれば、いま手にはいっているモノや理解は手放したくない
そのうえでさらにうまくいくことにだけ手にしたいと思う方、私以外にも多いのでは?


けれどもそこで、ふと考えてみると..
なぜ、うまくいくことだけを味わいたいと思うんだろう?

そこには、自分自身への不審など不安に根ざしたネガティブな理由があり
それらからうまれる身構えや、守りたいがための拒否、過緊張などがある気がします

うまくいかないと感じる状態でも、自然に自分を肯定できるなら
自分自身への評価が微塵もさがらないなら、すべての展開を楽しめるのでは?

うまくいかないことに遭遇するのは、根ざしている不安を手放し
のり越えるチャンスだと感じます

いい機会としてうけとめられるか。不安か愛のどちらへむかうかの選択権は
自分が手放しさえしなければ、いつも自分自身にあるのだと思います


まぁ、それをさておくとしても、単純に現実の中の経験・実感と
それを味わっていない感覚をくらべると、しゃあない。やるしか、いってみるしかないか..と思うし

どうしてもあきらめがつかない場合、そうせざるを得ないような現実的状態に
追い込まれていく場面が増えるダケって気がしますが(自戒がこもってます(笑






世界はシンプル?

このところ、いわゆるスピリチュアル系とか
エネルギー系っていわれるものがどういうものなのかなどが
自分なりにみえてきたような気がします


なんか、いま、すんごいいっぱい色んなのありますよね
どれを受けたら・学んだらいいかわからないと、相談されたりもしますが
や、目に見える療法なんかもそうで、誰も把握しきれないほどだと思いますが

大別すると、目に見えない系は意識(潜在意識含)系と魔術・錬金術系といえるような
私の中では、いわゆる霊的世界も意識にいれて把握したほうが
わかりやすいのではなかろうかと感じています


自分もしますが、チャネリングやリーディングは、大部分
潜在意識を読んでいるのだと感じます
読み手(チャネラー等)の解釈・主観などが加わるので、メタファー色が強くなり
一見そうは感じない場合もありますが、催眠系でえられる情報とかぶるものが多いのも道理です

いわゆる肉体や理論の裏づけがあるとされているものからのアプローチ
いわゆる目に見えないもの系・エネルギーからのアプローチ...とわけられていても
おなじところをみていたり、あつかっているって、ほかにも色々あるように見受けられます

それぞれの中でも様々な呼び名でよんでいるもの。いっそ大雑把でも定義づけ
呼び名を統一すればすっきりするのかもですが..それで実態がかわるわけではないし

目に見えるものも見えないものも
主張されればそのとおりの分野・呼び名でよばせてもらうし
独自で他に類をみないといわれれば、いちいち異論を唱える気もないけど(笑
実はそんなに種類はないんじゃないかな


そこらをひっくくって眺めてしまうと、目に見える世界もそうでない世界も
実はシンプルなんじゃないかなぁと感じるこの頃です
区分けも限界も、創っているのは自分..
正直、私的には、ラベルはなんでもいいや。って感じです






hamayan濱野がおもうこと


人 間の感情は、たどっていくと「愛」か「不 安(恐怖)」の
ど ちらかにいきつくといわれています

こ れは、「一体」か「分離」という反対のベクトルの
ど ちらへ向かうかともいえるかもしれません

hamayan 濱野は、自分の言動に迷ったり、自身を検証する時や
人 の言動の真意の受け止め方に迷う時

「こ れはたどっていくと、愛かな?不安かな?」と考えます
ベ クトルをのばすと、必ずどちらかに行き着くのです

ど ちらかがわかったら、「愛」「一体」のほうを選択するよう心がけています
私 も 、あなたも、世界も、愛と一体感にみちてあることを望んでいるからです
「全は己 己は全〜私は世界 世界は私」であると感じるからです
 


私は、これまで生きてきた自身の経験と見聞した こと等から
引 き寄せの法則のようなものが、確かに存在していると感じています

ネガティブな思考や感情・観念は、ネガテイブな判断や言動、緊張状態をひきだし
ネガティブな人間関係やできごと、災難や病、不運などの現実を引き寄せます

顕在・潜在の意識の中で、不安や恐怖などに根ざしたネガティブさが
力をふるっていないことが、幸せの鍵のように感じます


けれども、人間は、悩ましくきびしい状況や、どうにも 思うようにならない展開に遭遇すると
自然とネガティブな思考や感情などに、とらわれがちになるものかもしれません

・・・が。そうした時でも。そのネガティブな思考や感情の「目的」を遡っていくと
どんなもの、どのように強いもの、どのような人のものでも

いずれは「幸せにありたい(なりたい)」という、ポジティブな目的に
いきつくといわれます
(それをさらに深く遡っていくと至福状態にゆきつきま す)

確かに、「ナニ?それ??」と感じるような他者の言動 に遭遇した時でも
いっとき自分の価値観から離れ、よくよくそのかたの志向や価値観をおもんぱかり、たどっていくと
みな、それぞれの価値観の中で幸せになりたいだけなんだなぁ..と、思い至ります


それがどこで、なぜ、ネガティブな思考や感情・観念
不幸な出来事などの現実になってしまうのか・・・

それは過去の経験で、心身の過緊張などによる異常、カルマ
不安に根ざした思い出や観念(価値観)、頭や動きの都合だけで身につけてしまった癖
などなどにより、エネルギーのブロックや虚な状態がおきていて

からだと潜在・顕在の意識が、ねじれてしまうためではないかと感じます
いわゆる不幸や苦痛は、その因を見出し手放すためのお知らせとしておきているように感じるのです


しんどい状態を緩和し、それらから解放されてゆくと
そもそもの自然な心身安らかな状態にありやすく、自分が本当に望むこと、求めることを知り、得
表現することができるようになっていくようにも思うのです

hamayan濱野は、ヒーリングや手技、お話などを 通じ
ほんの少しでも、そのお手伝いができたらなぁと望んでいます






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